コロナ禍での少人数自宅家族葬「参列者全員で”念仏一会”」

中川 様

Q:かながわセレモニーサポートとの出会いを教えてください。

A.自宅に訪問診療に来ていただいていた「アカラクリニック」の福田先生よりご紹介いただきました。パンフレットを拝見し、コロナ渦であること、また寝たきり生活が長かったこともあり、落ち着いてゆっくりと送り出したいと申し上げたところ、“ご自宅での家族葬”という希望に沿ったプランをご提案いただいたので、かながわセレモニーサポートさんにお願いすることにしました。

Q:故人の人となりを教えてください。

A.昭和一桁生まれの91歳、戦時中もたくましく生きぬいてきたパワーのある女性だったと思います。
大船出身で、東京にも住んでいたことがあり、若い時には編み物の先生をして教室も開くほどでした。棺に当時の生徒さんの名簿も納めたんですよ。近年では編み物をデイサービスに持って行ったりもしていました。
また、山も好きで今でいう“山ガール”とでも言うのでしょうか。戒名の中に「峰」という文字が入っているのにも因縁を感じました。

Q:故人とのエピソードは?

A. 実は認知症の診断を受けたのが最近と遅かったのでそれまでの間、普通の人と同じ感覚で接していました。なので行き違いや疑いなどで確執が生じてとても残念に思っていました。お互いに認知症と認め合っていたら楽だったし、もっと優しくなれたのに…。でも認知症と診断していただいて、最後には和解できたので良かったと思います。
最期は老衰でしたが、大腸がんも患っていました。寝ている時間も長くなり痛みもありましたが、闘病中に二人で命について振り返る時間を持つことができました。「あとは余力だね」の母の言葉が思い出されます。激動の時代を生き切った母に「ようやく楽になれたね」と贈りたいです。

Q:どんなご葬儀でしたか?

A.少人数の自宅家族葬ということで、静かに送れたと思います。バタバタしないでお別れをすることだけに集中できました。
亡くなった4日後にお通夜、その翌日に告別式と自宅に浄土宗大運寺のご住職をお呼びしての葬儀となりました。読経、お焼香の後、参列者全員で「念仏一会」という「南無阿弥陀仏」を唱えました。

Q:ご葬儀を終えてからの心境をお聞かせください。

A.母からのメッセージが歌となって聞こえて来るんです。ふとした時に私が歌を口ずさむんですが。美空ひばりの港町十三番地「長い旅路の航海終えて船が港に泊まる夜…」やアナと雪の女王「ありのままの~、~だってもう自由よ、何でもできる」など。ようやく楽になれたんだと感じます。
それと編み物が大好きだった母には申し訳ないのですが、生前は母が編んだものを着たくありませんでした。この頃遺品を整理して、ようやく今になって着れるようになりました。この心境の変化は不思議ですね。

Q:今回のご葬儀を担当して。

A.この度はアカラクリニック様のご紹介により当かながわセレモニーサポートをお選びいただきありがとうございました。
火葬場が混み合っていたことにより葬儀までの日程が空いてしまいましたが、毎日ドライアイスの交換などでご自宅に通わせていただき、短い間でしたが中川様のお人柄に触れ今回のご葬儀に携わることができて本当に良かったと思っております。
認知症とがんの闘病中だったお母様の介護は、人には言えないご苦労も多かったのではとお察しいたします。それでも「生き切った」笑顔の遺影を拝見すると、あちらの世界で自由に羽ばたいているお母様を想像することができます。
最後に中川家のみなさま、これからもご家族仲良くご健勝にお過ごしください。

関連する葬儀プラン

かながわセレモニーサポートについて