友人たちが主催、仲間で見送る華やかなお別れ会

伊東 様

Q:故人様はどのような方でしたか?

サーファー界のレジェンドサーファーで鵠沼の重鎮でした。くげぬまEASYという約45年間存続し続けている歴史あるサーフチームの代表者でもありました。湘南の日差しに映えるホワイトの服。陸では自転車に跨がり颯爽と風を切っていた皆の「富士くん」。

少々怖い印象を与えてしまうのはストイックさが滲む表情だからか、はたまた口数が少ないからか、けれども皆ひとたびその優しさに触れると、富士くんの懐の深さに驚かずにはいられませんでした。チームを結成し、鵠沼の海を守り続けて約半世紀。サーフィンに注いできた情熱は大きなウェーブとなってひろがり、私達を強い絆で結び続けてくれました。

 

Q:かながわセレモニーサポートとの出会いを教えてください。

突然の逝去とコロナの疑いもあり警察が入り監察医が対応することになってしまいました。

警察の方に葬儀社は決まってないことを伝えると「対応してもらえる葬儀社があるので大丈夫ですよ」と教えていただきそのままお願いしました。対応して頂いた葬儀社からは逝去から数日経ってしまってること、コロナに感染してたら葬儀は出来ませんと伝えられました。

火葬だけは偲びない、「なんとか葬儀はできないのか」と仲間に相談をすると、ひとりが「かながわセレモニーサポート」という葬儀社に仲間の葬儀をしてもらったと、さらに森井さんが富士くんやローカルの方々と繋がっていたことを知りました。

かながわセレモニーサポートの森井さん宛に連絡をして事情を話すと親身に話を聞いてくれました。森井さんから「葬儀をみなさんで執り行われては?」と提案を受け、そのような葬儀の形もできることを知りました。コロナも陽性だったので最初に対応して頂いた葬儀社から、かながわセレモニーサポートさんにお願いをしました。

 

Q:どのような葬儀でしたか?

喪主は富士くんのお兄さんになっていただき私達は施主という立場でくげぬまEASY中心となり執り行われました。

コロナ禍でも大勢の仲間が富士くんの旅立ちを見送れるよう藤沢市斎場大ホールで通夜は16:00~20:00まで自由な時間に自由に来ていただく、服装も自由!そんな自由なお別れ会でした。告別式は家族とくげぬまEASYメンバーでゆっくりとお別れする時間に。

花祭壇は名前にちなんだ「富士山」と雄大な海の「波」に乗ってるイメージに、入り口には写真やスライドショー、愛用のウエットスーツと帽子など思いでの数々を飾り、ロックとボブ・マーリーの音楽が流れる会場には500人を越える参列者が集まり、富士くんへ感謝の気持ちを伝えるひとときになりました。会場の設営、式の進行などについても希望以上で富士くんもきっと喜んでいると思います。みんな笑顔と涙で偲び、称えることができました。森井さんにお願いして本当によかったです。感謝しかありません。

 

Q:納骨と一周忌はどうされましたか?

先祖代々のお墓が遊行寺にありますので、そちらに納骨をしていつもお参りさせていただいてます。そして家族に承諾を得てお骨の一部を大好きだった鵠沼の海でパドルアウトセレモニーとして散骨を行いました。

サーフ仲間たちがボードで沖にでると、海上で手を繋ぎ大きなひとつの輪となりました。そして信頼する友人の手によって海に散骨され海に還っていきました。そしてサーファーだけでなく富士くんを慕った多くの人々が陸からも追悼しました。また一周忌には特別イベントとしてサーフィン大会を行いました。

大会エントリーに250人、観客合わせて1000人が集まり富士君を偲ぶことができました。富士君が導いてくれたご縁に感謝したいです。きっと、それぞれの心の中で富士くんはこれからも輝き続けると信じてます。

 

 

担当からの一言

友人が主導で行う華かなお葬式でした。友人の皆様から故人へたくさんの感謝の気持ちがこもったスライドショーと思い出コーナーは人柄やこれまでの生き様が分かる内容でご家族も「故人の知らなかった一面を知ることができて本当にうれしい」と感謝の言葉を述べていました。

たくさんの仲間やご家族と多くの思い出を共有する時間が最期につくれたことで、故人の想いを引き継ぎ、生きることの大切さを実感できるお式になったと思いました。

 

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